myriam0125のブログ

考古学の教授に日記を付けることを薦められ、備忘録としてブログを始めてみました。

サリン事件から24年

2019.3.21

 

24年前の昨日(1995年3月20日)、地下鉄サリン事件が発生した。

 

あれから24年も経った。

実家の最寄駅を走る丸ノ内線サリンを散布された路線のひとつだったが、本線はサリンを撒かれた後も途中で運行を休止せず、終点の荻窪まで走らせ更に折り返し運行を続けた。当時、化学テロという予期せぬ事態を把握することに時間がかかった為に適切な対応ができず、被害が拡大したという。

日比谷線小伝馬町駅では、乗客が車内からサリンの入った袋をホームに蹴り出し、電車の強風と、換気の悪い地下という条件が重なってより被害が膨らんだ。この乗客に責任はないが、犯人達が地下鉄を選んだ理由はここにあり、死者が出たことを聞いて笑って喜んだという後日録を読んで苦々しく思った。

 

事件の起こった日は、小学校の担任の先生から事件についてその段階で分かっている範囲で説明があり、その日は授業が中断され、目白にある日本女子大附属の小学校に父兄が迎えに来ることになった。

生徒達は肉親が現れると安堵の表情で帰っていった。

クラスに残る生徒が半分以下になっても私の迎えは来ず、何か事情があるのではないかととても不安になったことを覚えている。

子供の学校行事関連は母の管轄下にあった為、私は母が来るものと思っていた。

ところが現れたのは父で、平日の昼間にスーツ姿の父が学校にやって来た違和感と、危険な事件が起きている恐怖で、やや興奮気味であったように思う。


丸ノ内線の終・発着駅が最寄りである私の家族がこの電車に乗り合わせていた可能性もあり、もしそうだったらと思い、事件の数日後に泣いたことを、今日思い出したのだった。

 

今も後遺症で苦しむ被害者の方がいると聞きます。

亡くなられた方の中には、今の私と同じ33歳の女性も含まれています。きっとやり残したことが沢山あったと思う。
御遺族の気持ちを思うと本当に心苦しいです。

日本に残る極刑は、御遺族の気持ちを少しは緩和したのでしょうか。死をもって罪は償われたのでしょうか。

 

被害者13名の御冥福をお祈り申し上げます。